【ご感想】私が私であるひとを否定する必要はない。

Aさまより頂いた、熱源熱軸発掘セッションのご感想です。
熱軸メルマガより転載)

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■熱軸熱源を示すキーワードを知ったときの、印象は

衝撃的でした。
ガールとオスカル、というキーワードを聞いたときに、最初は「…………。」

短時間の中であまりにも
情報量が多すぎたようで、
ちょっと混乱気味だったようです。

セッションが終わった後に、
「………………ああ。あああ、あああああ〜…!!」
という感じでした。(伝わります?)

私の場合、ガールが自己承認に繋がっていなかったので、
うまく解放してあげられていなかったのだと思います。
ガールをオスカルが一生懸命守ってたけど、
オスカルも傷ついちゃっていたんでしょうね。

ガールが主で、オスカルが副というのも納得でした。

怖いよう、嫌だよう、と泣いて立ちすくむガールを、
オスカルが抱きかかえて守ろうとしていたイメージが浮かんできて、
ガールを無視してオスカルだけを強制的に見ていたのだなと感じました。

私の中のガールは、
一言で言うと「素直な少女」なのかも、
と自分なりに咀嚼しています。

可愛いものとか、綺麗なもの、楽しいことを
素直に心のままに表現する、と言うイメージでしょうか。
オスカルはガールを守る自分なりの騎士なのでしょうね。

■熱軸熱源を知って、どのような変化がありましたか?

体の感覚、触覚を大事にしては、との
お言葉がありましたが、呼吸が楽になった気がします。

笑うことも意識するようになりました。
笑顔が嫌いだったのですが、
自分なりに笑えるようにしようと思いました。

その後、仕事で出張に行った先で奇跡的な出会いがあり、
ものすごく楽しい人たちに出会えました。

多分セッション以前なら、
人と関わるのが怖かったので、
そんな出会いもなかったと思います。

まだはっきりとは言えませんが、
やりたい方向が少し見えてきた気がします。

気持ち的には、ものすごい楽になりました。
最初からがーん!と来たわけではありません。

混乱し、少しずつイメージを持てるようになった時に、
2度目の衝撃と視界の広がりがありました。

納得感や腹落ちした、という言葉では適当ではない気がします。
もっと深いところ、心の中に閉じ込めていたエリアに光が差したような。
開けた感じ…でしょうか。安堵感の方が近いかもしれません。

自分一人で「好きなこと」を探すのは難しくて、
本当に好きなことがわからなくなってしまっていました。

熱軸熱源セッションは、
「自分の根源的なものがなんなのか」を知る
きっかけなのだと思います。

堂々とお花を飾るようになりました。
これでいいのかな、家に置いていいのかな、
とこんなことでも迷っていたのですが、
飾ると本当に心が和みます。

褒められても、
私が否定したり気持ちが引いてしまうことも、
以前より少なくなった気がします。

セッションを受けてから、
仕事の進め方が自然と変わった気がします。

プレゼンや企画、資料づくりなど、
それまではオスカルが無理やり主導していたような感じで、
上手くいかないとオスカルは自虐的になり、
上手くいったのに納得していませんでした。

何かど真ん中じゃない、という感覚が
ずっとつきまとっていました。

オスカルだけで頑張ってた結果、
いろんなバランスが悪かった理由が今となっては
「あー、そういうことか…!」と理解できます。

また、仕事にガールは関係ない、と、
ガールの部分を封印していたのだなと思います。

ガールの部分をそのまま出すと
太刀打ちできないのではないか、と
感じていたのかもしれません。

ですが、自分の熱源がガールなんで、
封印すること自体が意味がないことに気づきました。

ガールの意見を主に置いてオスカルが纏める、実行する、と言う風に
すればいいんだなと気づきました。

まだガールの部分が上手く使えてはいないのですが、
もっと解放していいよな、と思っています。

書いてるそばからガールがうずうずしてますが。笑。
オスカルが上手くコントロールしてくれればいいなと思います。

余談ですが、ガールを全開にしているときは
相当パワーが強いようで、
周りがまだついて来てくれません。笑。

自然と出していても、
激しく感動しているように見えるんでしょうか。

でもそれが嬉しいと捉えてくれてもいるようで、
ああ、そういうもんなんだな、とオスカルが微笑んでいます…。
オスカルが一人でウンウン悩んでいるときよりも、
話しかけられるように感じます。

セッションでは自分の女性性を否定していましたが、
ガールもオスカルもどちらも女性であることに気づいたことは、
自分では大きなことでした。

マッチョに憧れもするけど、本質的にマッチョではない。
マッチョになる必要もない。
マッチョでないことに傷つく必要はないのだな、と。

私が私であることを否定する必要はない、ということですね。
なかなか気づくことが難しかった部分です。